間宮林蔵生家(読み)まみやりんぞうせいか

日本歴史地名大系 「間宮林蔵生家」の解説

間宮林蔵生家
まみやりんぞうせいか

[現在地名]伊奈村上平柳

江戸後期の探検家間宮林蔵の生家。林蔵は安永年間(一七七二―八一)上平柳かみひらやなぎ村の小農の子として生れ、寛政一二年(一八〇〇)蝦夷地御用御雇となり、測量のため蝦夷に渡った。文化五年(一八〇八)には松田伝十郎とともに樺太探検の下命を受けて二回にわたり探検を試み、同七年には「北蝦夷図説」「東韃紀行」を著し、樺太が島であることを確認している。これが間宮海峡の名の起源となったが林蔵の晩年は暗く、隠密的行動をとりつつ諸藩を探索するなどしてかろうじて幕府の保護下にあった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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