間宮海峡(読み)マミヤカイキョウ

デジタル大辞泉 「間宮海峡」の意味・読み・例文・類語

まみや‐かいきょう〔‐カイケフ〕【間宮海峡】

サハリン樺太)とアジア大陸との間の海峡。文化6年(1809)間宮林蔵が発見し、シーボルト命名。最狭部は幅7.3キロで、ロシアでは探検者の名からネベリスコイ水道とよぶ。冬季は凍結する。韃靼だったん海峡。タタール海峡

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精選版 日本国語大辞典 「間宮海峡」の意味・読み・例文・類語

まみや‐かいきょう‥カイケフ【間宮海峡】

  1. サハリンとユーラシア大陸との間にある海峡。文化五~六年(一八〇八‐〇九間宮林蔵が踏査、確認。冬季は凍結する。タタール海峡。韃靼(だったん)海峡。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「間宮海峡」の意味・わかりやすい解説

間宮海峡
まみやかいきょう

アジア大陸と樺太(からふと)(サハリン)との間にある海峡。日本海とオホーツク海を結ぶ。日本では一般にアジア大陸と樺太との間全体が間宮海峡とされるが、タタール海峡の最狭部分、幅7.3キロメートルのロシア語名ネベリスコイ水道をさす。最狭部より北はアムール潟ともよばれる。夏季の水温10~12℃で、冬季は結氷する。樺太のオハからこの海峡を通り、大陸のコムソモリスク・ナ・アムーレまでの石油パイプラインが敷設されている。海峡の名「間宮」は、1808年(文化5)幕命により樺太、黒竜江(アムール川下流を探検し、樺太が島であることを確認した間宮林蔵の功績をシーボルトがたたえ、世界地図上に海峡名として命名したことによる。ロシアでは、17世紀中ごろロシア人が海峡を発見し、1849年、ネベリスコイが海峡航行の可能性を証明したとされている。

[宇根 寛]

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「間宮海峡」の解説

間宮海峡
まみやかいきょう

タタール海峡・ネベリスク海峡とも。アジア大陸とサハリンの間の海峡。1808年(文化5)松田伝十郎・間宮林蔵(りんぞう)の樺太の東西海岸線探検,翌年の間宮の海峡横断により,はじめて海峡の存在が確認された。間宮海峡の名はシーボルトがヨーロッパに伝えたものである。幅約6.6km,水深約20mと浅く,冬季は結氷して自動車往来が可能となる。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「間宮海峡」の意味・わかりやすい解説

間宮海峡
まみやかいきょう

「タタール海峡」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内の間宮海峡の言及

【タタール海峡】より

…北はオホーツク海,南は日本海に通じる。広い海域をとった場合にタタール海峡(韃靼(だつたん)海峡)と呼び,最も狭い部分を間宮海峡(ロシア名はネベリスコイ海峡Proliv Nevel’skogo)と区別して呼ぶ例もある。最狭部の幅は約7.3km,深さは最浅部で約8m。…

※「間宮海峡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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