日本歴史地名大系 「上平柳村」の解説 上平柳村かみひらやなぎむら 山形県:東置賜郡高畠町上平柳村[現在地名]高畠町上平柳福沢(ふくざわ)村の西に位置。松(まつ)川と鬼面(おもの)川に挟まれた地域で地味肥沃な氾濫原に立地し、河岸の一部を除き水田地帯である。西方の鬼面川を隔てた地に下平柳村(現川西町)があり、間に蛇口(じやくち)村が挟まれている。中世にはこの三村を平柳郷とよんだ。当地方で三大洪水の一つに数えられる正保三年(一六四六)八月二六日の大洪水で鬼面川の流路が変わったと伝えられ、米沢郷土年表(市立米沢図書館蔵)に「慶安四年頃迄鬼面川は塩野村南端を流れて松川に合せしが、後、現今の流域となれりといふ」と河道の変化が記されている。現在も米沢市の塩野(しおの)・小瀬(こぜ)・窪田(くぼた)を通る古川跡が認められる。 上平柳村かみひらやなぎむら 茨城県:筑波郡伊奈村上平柳村[現在地名]伊奈村上平柳山谷(さんや)村の南、小貝(こかい)川東岸沿いに位置。「寛文朱印留」によれば下総佐倉藩大給松平氏領であったが、「各村旧高簿」によれば明治元年(一八六八)には旗本勝田鋼吉知行地四〇三・一六三石と天領八・一二四石の相給。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報