朝日日本歴史人物事典 「関口柔心」の解説
関口柔心
生年:慶長2(1597)
江戸前期の柔術家。関口流の開祖。通称は弥六右衛門,諱を氏心といい,柔心は号。岡崎城主松平信康に仕えた関口氏幸の子として,三河国(愛知県)に生まれる。林崎甚助から居合を学び,三浦与次右衛門に組打の術を教わり,のち中国の拳法をとり入れて関口流を創始した。はじめは大和国郡山に住したが,寛永16(1639)年から紀州(和歌山)藩主徳川頼宣に仕えた。無学であったために己の術をどう称してよいかわからず,頼宣によって儒者たちが集められ,論議の末に“柔”の名がついたと伝えられる。同流はのち渋川伴五郎らを輩出し,江戸時代における一大勢力となった。<参考文献>日夏繁高『本朝武芸小伝』(新編武術叢書)
(加来耕三)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報