関戸要害跡(読み)せきどようがいあと

日本歴史地名大系 「関戸要害跡」の解説

関戸要害跡
せきどようがいあと

[現在地名]多摩市桜ヶ丘一丁目・同四丁目

大栗(おおくり)川右岸の丘陵上、通称城山(しろやま)・天守台(てんしゆだい)に比定される。中世の関戸は街道上に位置し、しかも多摩川の渡河点で河川敷も広く河床も浅かったために、軍勢の集結地や戦場として選ばれることが少なからずあり、この丘陵上に立つと府中以下武蔵野台地の大部分を眼下にすることができるため(風土記稿)、軍事上の要地として認識されていた。石川忠総留書(内閣文庫蔵)の明応三年(一四九四)の記事には、八月一五日に「関戸要害没落」とあり、扇谷上杉定正方の関戸要害を山内上杉顕定方が攻略したことがわかる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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