関田峠(読み)せきだとうげ

日本歴史地名大系 「関田峠」の解説

関田峠
せきだとうげ

[現在地名]飯山市大字一山 温井

大明神だいみようじん峠ともいう。谷筋たにすじ道及び外様平とざまだいら西側往還より温井ぬくい(五〇六メートル)を経て至る茶屋ちやや池近くの信越国境の峠。標高一一一一メートル。関田峠越道は外様平南部の富倉とみくら峠に対し北部の主要峠道で、現新潟県中頸城なかくびき板倉いたくら町から上越市高田たかだ直江津なおえつに至る。温井・関田間三里一八町。親鸞が越後流刑を許された後この峠を越え外様平へ来たとも伝えられ、武田信玄に飯山城を落された時はこの峠道が主要な信濃への交通路であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

部分連合

与野党が協議して、政策ごとに野党が特定の法案成立などで協力すること。パーシャル連合。[補説]閣僚は出さないが与党としてふるまう閣外協力より、与党への協力度は低い。...

部分連合の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android