富倉峠
とみくらとうげ
現飯山市と新井・上越両市を結ぶ主要交通路の峠。標高六八一メートル。外様平から富倉まで三筋の道がある。中条から蘇武池を通り北峠を越える道、上新田から字峠の茶屋・大将陣を通り中の茶屋・下の茶屋・梨ノ木茶屋の峰通り道、山口から硫黄・涌井・関谷・濁池を通る道の三道である。峠の茶屋を南峠といい、南峠と関谷との間に富倉峠の頂上がある。北峠道が最も古いといわれ、現在総称して富倉道という。
永禄年間(一五五八―七〇)越後春日山城主上杉輝虎(謙信)は信濃進出の重要拠点飯山への交通に富倉峠越え・関田峠越えの道を通った。富倉道は里程短く途中集落が点在して冬期積雪中の交通も便で、主要道であった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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富倉峠
とみくらとうげ
長野県北東部,飯山市の市街地の北西方にある峠。標高 681m。越後の高田平野から信濃の飯山盆地に入る旧飯山街道にあり,川中島の戦いにおいて上杉謙信が侵入路とした。 1877年峠の南西に涌井峠とともに,新しく富倉街道 (国道 292号線) が開かれたために,ほとんど使用されていない。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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