温井村(読み)ぬくいむら

日本歴史地名大系 「温井村」の解説

温井村
ぬくいむら

[現在地名]安佐南区佐東さとう川内温井かわうちぬくい

八木やぎ村の南に位置し、西はふる川を挟んで緑井みどりい村、南は高宮たかみや中筋古市なかすじふるいち村、東には同郡東野ひがしの村の飛郷や中調子なかぢようし村を挟んで太田おおた川が流れる。もともと自然堤防に囲まれた低湿地で、人工的な盛土などを除くと比高一―一・五メートルの微高差しかなかった。

和名抄」の安芸郡河内こうち郷を当地および中調子にあてる説が有力で、河内は太田川の流路に挟まれた中州の意と推され、流路の変更で郡の所属も変わったとされる。嘉元二年(一三〇四)一一月二三日付の六波羅御教書案(野坂文書)に「河内村」、同年一二月日付の厳島社供僧神官等申状案(同文書)に「当社領河内村」とみえるが、佐西ささい(現佐伯郡)にも河内村がありどちらかは断定できない。


温井村
ぬくいむら

[現在地名]飯山市大字一山いちやま

今井いまい川(運上うんじよう川)の上流黒倉くろくら山(鍋倉なべくら山とも。一二八八メートル)の東麓台地にある。関田せきだ峠への登り口。枝集落に羽広山はびろやま小出雲おいずも一本柳新田いつぽんやなぎしんでんがあり、羽広山から梨平なしだいら峠を越え現新潟県中頸城なかくびき清里きよさと村梨平へ通ずる。谷筋たにすじ道はここより桑名くわな川に下る。字北村きたむらに長者伝説地がある。約九アールの土地に土塁跡が残り、小名を長者清水ちようじやしみずという。土師須恵出土が多く茶臼も出土。

字向山に山城があり、郭四、空堀五、副郭とみるべきもの三ヵ所が残る。関田峠道と谷筋道の接点に位置し、もと堀の一部に石積みがあったと伝える。付近の地字に木戸先きどさき・ぶたい・桑ノ木畑・牛首うしがくび多茂木平たもぎだいら狐山きつねやま等がある。


温井村
ぬくいむら

[現在地名]真正町温井

国領こくりよう村の南に位置し、根尾ねお川東岸沿いの平坦地に立地する。温湯村とも書いた。慶長郷帳に村名がみえ、高二一一石余。元和二年(一六一六)の村高領知改帳では旗本青木可重領。正保郷帳では旗本徳永昌成領で、田方一二〇石・畑方九一石余。元禄郷帳では旗本青木領。用水真桑まくわ井組に属し、同井組内下方しもがた(現揖斐郡大野町)三水みみず川から取水する政田まさだ井組に文政五年(一八二二)加入した。


温井村
ぬくいむら

[現在地名]七尾市温井町

東を流れる二宮にのみや川と西側の伊久留いくろ川の合流地点にあり、満仁まに村の南に位置する。守護畠山氏の重臣温井氏の名字の地と考えられる。天正八年(一五八〇)から長連竜領で、文禄二年(一五九三)の鹿島半郡高帳に村名がみえ、高一三七石余。正保郷帳では高一八一石余、田方一一町四反余・畑方七反余、免二ツ九歩四厘。寛文一一年(一六七一)の鹿島半郡高免付帳(長文書)では高一三四石、免五ツ六歩三厘。同年加賀藩直轄領となり、延宝七年(一六七九)の村御印では高一九四石、免四ツ二歩、小物成は苦竹役二匁・鳥役一匁(三箇国高物成帳)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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