関鍛冶町(読み)せきかじちよう

日本歴史地名大系 「関鍛冶町」の解説

関鍛冶町
せきかじちよう

[現在地名]中区丸の内まるのうち三丁目

大津おおつ町筋東の鍛冶屋かじや町筋北端に位置する。南は吉田よしだ町に続く。きよう町筋とすぎの町筋との間の二丁である。濃州せき(現岐阜県)の鍛冶職が清須きよすへ移住し、関鍛冶町と称したが、慶長一五年(一六一〇)遷府の際に名古屋へ引越し、そのまま町号を用いた(府城志)清須越しとしては最も早い。井戸水はよく、地表黒色を呈する(市譜)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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