阿保宿
あおじゆく
[現在地名]青山町阿保
阿保村に設けられた阿保越参宮道の一宿。「三国地志」神宮道の項によると、名張より蔵持―新田(以上現名張市)―七見峠―羽根を経て阿保宿まで二里半(阿保駅の項によれば三里)、阿保より岡田―下河原を経て伊勢地宿まで一里となっている。阿保川(木津川)の南に発達した宿場で、近世初頭より阿保ノ町とよばれ、上町・下(西)町に分れていた。「菅笠日記」に「阿保の宿の入口にて又わたる。昨日の雨に水まさりて、橋もなければ、衣かゝげてかちわたりす。水いと寒し。いせぢより此駅迄一里也」と記される。当宿は江戸時代を通じて伊勢参宮客で賑い、伊勢方面へは阿保越の本道に対して、柏尾村・奥鹿野村を経る道や、老川村・霧生村からの塩見峠越の枝道も利用され、また北方上野へ通ずる上野道も分岐したがいずれも阿保宿を基点とする。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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