阿倍小足媛(読み)あべの おたらしひめ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「阿倍小足媛」の解説

阿倍小足媛 あべの-おたらしひめ

?-? 飛鳥(あすか)時代,孝徳天皇の妃。
阿倍倉梯(くらはしの)麻呂の娘。舒明(じょめい)天皇12年(640)有間皇子を生む。皇極天皇3年藤原鎌足が軽(かるの)皇子(孝徳天皇)の宮をたずねたとき,皇子の命で丁重に接待をした人とみられる。「帝王編年記」では男足媛。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の阿倍小足媛の言及

【孝徳天皇】より

…645年(大化1)6月に甥の中大兄皇子(天智天皇)らが蘇我氏権力を打倒すると,皇極女帝の譲位をうけて即位し,中大兄皇子を皇太子とし,年号を大化と定め,同年末に都を難波の長柄豊碕宮(ながらのとよさきのみや)に移した。また中大兄皇子の妹の間人(はしひと)皇女を皇后としたが,即位以前にすでに妃の阿倍小足媛(おたらしひめ)との間に有間皇子を生んでいた。天皇の治世は改新政治の発足期で,中大兄皇子が実権を握って政治を推進したとみられるが,653年(白雉4)に至って,皇子は天皇が同意しなかったにもかかわらず,皇極上皇,間人皇后以下公卿百官人を率いて大和の飛鳥に戻った。…

※「阿倍小足媛」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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