阿多忠景(読み)あた ただかげ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「阿多忠景」の解説

阿多忠景 あた-ただかげ

?-? 平安時代後期の武将
薩摩(さつま)平氏棟梁。源為朝はその娘婿といわれる。保延(ほうえん)4年(1138)薩摩(鹿児島県)阿多郡司の任にあり,のち大隅(おおすみ)(鹿児島県)まで権勢をふるう。薩摩一国を押領する謀反をおこし,保元(ほうげん)の乱後に勅勘をうけて,黄海島(硫黄島)に逃亡した。別名に財久吉。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の阿多忠景の言及

【薩摩国】より

…そして寄進した郡院郷司ら在地豪族が,そのまま荘官を兼ねていた。そのころ薩摩半島南部を中心に阿多平氏とも伊作平氏とも呼ばれる鎮西平氏一族が繁衍しており,1138年(保延4)に阿多郡司としてみえる阿多忠景は薩摩権守を称し,大隅にまで勢力をのばした。のち忠景は勅勘をこうむって貴海島(硫黄島)に逐電したが,その一族はその後も長く強勢を誇った。…

※「阿多忠景」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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