精選版 日本国語大辞典 「硫黄島」の意味・読み・例文・類語
いおう‐じま いわう‥【硫黄島】
いおう‐が‐しま いわう‥【硫黄島】
いおう‐とう いわうタウ【硫黄島】
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鹿児島港から一〇八キロの洋上にある。主峰硫黄岳(七〇三・七メートル)が噴煙を吐く周囲一四・五キロの火山島。古くは
古代以来、記録・物語類にみえる貴海島・鬼界島などは硫黄島にあたるとする説がある。中世は薩摩国河辺郡十二島のうち
「海東諸国紀」の九州之図や、明代の一五五七年刊の「日本一鑑」の絶海新篇図などに島名が記載され、「万暦三代征考」の日本総図には硫黄山とみえる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
薩摩硫黄島,鬼界ヶ島ともいう。鹿児島県薩摩半島南岸の南方約50kmの東シナ海にある火山島。東方約10kmの竹島,西方約30kmの黒島とともに鹿児島郡三島村に属し,口之三島の一つ。東西約6km,南北約3km。竹島とともに鬼界カルデラ(カルデラの直径東西約22km,南北約13km,形成時期不明)の北外縁に位置する。北端部から南西部にかけては先カルデラの火山体で,標高約300m以下の山地または台地からなる。東部から南東部は後カルデラ火山で,東部に主峰硫黄岳(704m)が,南西部に小型スコリア丘稲村岳(約240m)がある。硫黄岳は急峻な円錐形の成層火山で,山頂に直径約500mと200mの2火口がある。山頂火口および山腹各所で激しい硫気活動があり,そのあるものはきわめて高温(850℃)で,火山ガスの研究上重要である。硫気孔では藩政時代から1960年代前半まで硫黄を採掘していた。南西部に唯一の集落長浜と港があり,零細な農漁業が営まれている。人口114(2010)。東方約2kmにある新硫黄島(標高25m)は1934年の海底噴火で水深300mの海底から溶岩が噴出し,形成されたもの。
執筆者:鎌田 政明+横山 勝三
産出する硫黄で海面まで黄色くなるのでかつては黄海ヶ島,鬼界島,貴海島と呼ばれた。1177年(治承1)平氏の六波羅政権を倒す計画に失敗した俊寛,藤原成経,平康頼らが配流された島で(《愚管抄》),《平家物語》では鬼界島と書かれている。成経,康頼が大赦で帰島後,俊寛は悲嘆のなかで没した。これは俊寛説話として著名であり,本島に俊寛を祭った御祈神社や俊寛堂がある。同じころ勅勘をこうむった南薩摩の豪族阿多平四郎が本島へ逃亡し,六波羅から追討使が派遣されたが渡海に失敗した。1186年(文治2)河辺平太道綱が本島へ逃亡し,翌年には義経同意のやからが隠れているという疑いがあったため,源頼朝は宇都宮信房と鎮西九国奉行天野遠景をつかわして本島で合戦し,これを帰順させた(《吾妻鏡》)。島内の記録によれば,壇ノ浦で敗れた平資盛と安徳天皇一行は本島に逃れ,1243年(寛元1)安徳天皇はここで没したと伝え,安徳帝陵,黒木御所,硫黄大権現宮など関係史跡がある。この平家落人伝説は1773年(安永2)薩摩藩へ提出された《平家没落由来記》以後知られることとなった。1331年(元弘1)北条氏調伏の罪で文観が本島へ配流され,4年後赦免された(《太平記》)。
執筆者:三木 靖
小笠原諸島のうち硫黄列島の三つの火山島の真ん中にある島。別名,中硫黄島。第2次世界大戦後,アメリカ軍の施政下にあったが,1968年復帰し,現在は東京都小笠原支庁小笠原村に属する。面積20.2km2。第2次大戦末期に日本兵が全員玉砕した島である(硫黄島作戦)。火山島といっても付近の南・北硫黄島とは構造が異なり,南端の小円錐形で大きな火口のある活火山(摺鉢山,161m)と標高100m余の平たんな凝灰岩層の台地(元山火山)とが結合して一つの島を形づくっている。摺鉢山は硫黄を噴気するだけで爆発性の活動はしていない。元山火山体は元来海底火山の噴出物(おもに火山砂礫)がまず海底に堆積した後,ドーム状隆起運動を行って海面上に現れたもので,この運動は現在も続いている。1950年以降の測定により島の北東部で最大10mをこえる隆起量が確かめられ,間欠的な地盤上昇の結果,10段の階段状地形が島の周囲の海岸付近に残っている。地熱が高く最高温度は元山付近で観測され,100℃をこえるところもある。飲用に耐える地下水が得られず,天水以外の水源はない。1944年の強制引揚げ以前には1100人余の人口があり,硫黄の採掘やサトウキビの栽培をしていたが,現在は戦前および日米激戦地としての戦中の面影はほとんどない。
→小笠原諸島
執筆者:浅海 重夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…堺とも書く。あらゆる事物や空間を区切るさまざまな仕切り(境界)。歴史上,境は原始社会から現代に至るまで,小は家と家の境,耕地と耕地の境などから,大は国郡などの行政区分上の境や国境まで普遍的に存在する。 日本の古代では,山や川などの天然・自然の境界物が基本的な境とされていた。《出雲国風土記》に登場する国堺・郡堺の記載50例(重複を含む)をみると,山が15例,水源1例,川が10例であり,さらに埼3例,浜1例,江1例を加えれば,国郡の堺の7割が自然の境界だった。…
…人口513(1995)。薩摩半島南方40~50kmの海上にある口之三島(くちのみしま)(竹島,硫黄島,黒島)からなる。いずれも火山島で,なかでも硫黄島は常時噴煙を上げている。…
※「硫黄島」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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