日本大百科全書(ニッポニカ) 「阿波藍」の意味・わかりやすい解説
阿波藍
あわあい
江戸時代、阿波徳島藩が専売品とした特産の染料。藍は紅花とともに染料の代表といわれたが、阿波(徳島県)で本格的な栽培が行われるようになったのは、1585年(天正13)に蜂須賀家政(はちすかいえまさ)が入部して旧領の播州(ばんしゅう)(兵庫県)から種子と技術を導入し、栽培を保護、奨励したことに始まると伝えられる。1625年(寛永2)には藩の藍方役所が置かれ、藍の保護と統制に乗り出しているが、1733年(享保18)に藍方奉行所(ぶぎょうしょ)を新設して葉藍(はあい)専売制の強化を図った。1800年(寛政12)の調査では作付面積1600町歩、藍玉(あいだま)生産高17万9000俵で、その主産地は吉野川下流域の名東(みょうどう)、名西(みょうざい)、板野(いたの)、阿波、麻植(おえ)の各郡にまたがり、全国の市場をほぼ独占して藩財政を支えていた。しかし19世紀末にドイツから化学染料が大量輸入されたことにより急速に衰退していった。
[三好昭一郎]