阿瀬川城跡
あぜかわじようあと
中組の北部にあり、現在畑地となっているが三方に崖が高くそびえ、南には四村川が流れ、後ろは高山に続く要害の地である。中原大城ともいう。湯浅氏一統の阿瀬川(阿
川)氏の居城。築城時期は不明だが南北朝期には存在し、同時期湯浅党を主流とする紀州南朝方の一拠点であった。正平三年(一三四八)正月、北朝方高師直の吉野行宮焼討(「太平記」ほか)以後、後村上天皇は湯浅党の勢力下にある当地に潜幸、阿瀬川城を一時行宮としたが、同年九月北朝方に攻められ落城したという(鶴岡社務記録)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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