阿玉村(読み)あたまむら

日本歴史地名大系 「阿玉村」の解説

阿玉村
あたまむら

[現在地名]大洋村阿玉

鹿島台地が北浦へ突出した先端にあり、北は梶山かじやま村、西は大蔵おおくら村。常陸大掾系図によれば、鎌倉初期、中居四郎時幹の三子幹時が北浦へ突出た山上に館を構え、阿玉氏と称して以来、数代にわたり地頭として支配を続けた。阿玉氏は応永二三年(一四一六)上杉禅秀の乱に荷担し、所領を除かれ滅亡したと伝える。天正一九年(一五九一)佐竹氏の一族東義久の知行地となり、文禄四年(一五九五)の中務大輔当知行目録(秋田県立図書館蔵)に「四百八十石二斗九升 あたま」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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