阿翁浦免
あおううらめん
阿翁村の西にある浦。モンゴル襲来の当時は西浦と称され(竹崎季長絵詞)、激戦地の一つであった。地内の阿翁浦堂様に五輪塔(安山岩質凝灰岩製)が一基分ある。江戸時代は鷹島村のうちで、元禄一二年(一六九九)の平戸領分郷村帳では鷹島村浦分として阿翁浦と記される。文化一〇年(一八一三)二月二一日、御厨浦(現松浦市)を出た伊能忠敬は黒島を測量したあと、一ッ瀬・竹ノ子島などを経て阿翁浦・橋積浦・浜ノ浦に至り、阿翁浦の近藤市兵衛宅を本陣とするが、下役の沢辺福左衛門、内弟子の高崎吉五郎の名も記される。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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