出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
松浦市の北方にある島。東西約五キロ・南北約一三キロで、面積一六・二四平方キロ。南部に
正元元年(一二五九)七月一六日の関東裁許状案(青方文書)に「鷹島源三郎満」がみえ、当地に拠点を置いていた者か、所領を有していたか明らかではないが、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
長崎県北松浦(きたまつうら)郡にあった旧町名(鷹島町(ちょう))。現在は松浦市の北部を占める。旧鷹島町は1975年(昭和50)町制施行。2006年(平成18)松浦市に合併。旧鷹島町は北松浦半島の北方の海上に位置する、鷹島と黒島を町域とした。第三紀層上に玄武岩が噴出してできた台地上の島で、北岸に首邑(しゅゆう)、阿翁(あおう)の良港がある。1274年(文永11)元(げん)軍の来襲を受け、1281年(弘安4)元軍再度の来襲には、世にいう「神風」によって、元軍は鷹島付近で全滅した。近年、鷹島沿岸の海底から元船の錨(いかり)や青竜刀(せいりゅうとう)、仏像などの遺物が発見され、2012年(平成24)「鷹島神崎遺跡(たかしまこうざきいせき)」として国史跡に指定された。当時の敵味方の霊を慰める二つの元寇(げんこう)記念碑が宮地(みやじ)岳(117メートル)と牧(まき)ノ岳(117メートル)の山頂にある。口碑によれば、この慰霊碑建立を契機として石材加工業がおこり「阿翁石」の名声を博し、1690年(元禄3)筥崎(はこざき)宮(福岡市)の大鳥居(国宝)が阿翁石を使って建立されて以来、唐津(からつ)・佐賀(さが)両藩の御用採石場として繁栄した。現在も主として墓石を生産する。農業はミカン・タバコの栽培、漁業は吾智(ごち)網とタイの養殖が盛んである。2009年には佐賀県唐津市肥前(ひぜん)町との間に鷹島肥前大橋が完成した。
[石井泰義]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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