阿賀良村
あがらむら
林村と実質的には一体化した地で、池之内村に接していたと考えられる中世村落。春部郡司範俊の開発にかかるものであるが、篠木・野口・野田は関東御領として鎌倉円覚寺が地頭職を掌握したのに対し、阿賀良村は林村とともに別相伝の地として浄円・宴源ら名主が代々相承した。円覚寺が当村と林村に年貢を納めることを命じたので、元亨二年(一三二二)名主らは請文を提出し、円覚寺への年貢は納めるが、下地は相伝の道理に任せて名主らが知行する旨を主張した(円覚寺文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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