日本歴史地名大系 「林村」の解説
林村
はやしむら
林村
はやしむら
林村
はやしむら
- 兵庫県:明石市
- 林村
明石川河口の西側に位置する海辺沿いの村。東は
天正一三年(一五八五)閏八月以降の高山右近(重友)の明石入部の際、城内の
林村
ならばやしむら
城島村の南、筑後川下流左岸にある。西は
林村
はやしむら
吾妻川北岸、
林村
はやしむら
林村
はやしむら
- 埼玉県:所沢市
- 林村
林村
はやしむら
林村
はやしむら
林村
はやしむら
- 神奈川県:厚木市
- 林村
とある。
林村
はやしむら
- 山梨県:大月市
- 林村
林村
はやしむら
林村
はやしむら
- 和歌山県:田辺市
- 林村
慶長六年(一六〇一)の浅野左衛門佐殿知行持高写(「万代記」所収)によれば村高三六二石余。
林村
はやしむら
- 熊本県:人吉市
- 林村
林村
はやしむら
林村
はやしむら
林村
はやしむら
林村
はやしむら
林村
はやしむら
林村
はやしむら
- 愛知県:小牧市
- 林村
林村
はやしむら
林村
はやしむら
- 大阪府:藤井寺市
- 林村
林村
はやしむら
林村
はやしむら
林村
はやしむら
林村
はやしむら
林村
はやしむら
林村
はやしむら
林村
はやしむら
現豊丘村の中部。
元亀二年(一五七一)三月、武田信玄が秋山信友に命じて大島城(現松川町元大島)の普請に当たらせた時、林郷も郡内諸郷とともに人足を徴収された。その時の武田信玄朱印状(工藤文書)に「林」とあり、これが確かな文献上の初出である。
江戸時代になると幕府領となり、朝日受永・宮崎氏・市岡氏らの幕府代官の支配を受けた後、寛文一二年(一六七二)から飯島代官所の管轄下に入った。村高は天正一九年(一五九一)には三五六石余(「信州伊奈青表紙之縄帳」佐々木忠綱氏蔵)、元禄一五年(一七〇二)には五三〇石(信濃国郷帳)に急増している。
檜・椹が豊富なため榑木成村となり、榑木(屋根板用材)を年貢として納めた。
林村
はやしむら
林村
はやしむら
林村
くしばやしむら
- 福井県:敦賀市
- 林村
林村
はやしむら
林村
はやしむら
林村
はやしむら
林村
はやしむら
林村
はやしむら
- 富山県:砺波市
- 林村
林村
はやしむら
林村
ならばやしむら
林村
はやしむら
- 大分県:日田市
- 林村
林村
はやしむら
林村
はやしむら
- 茨城県:下館市
- 林村
北は
林村
はやしむら
林村
はやしむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報