日本歴史地名大系 「阿那志村」の解説 阿那志村あなしむら 埼玉県:児玉郡美里町阿那志村[現在地名]美里町阿那志阿奈志・穴師とも記す。東流する志戸(しど)川を挟んだ水田地帯から南東の山崎山(やまざきやま)丘陵にかかる村。水田地域には条里区画が残っていたが、現在は圃場整備により消滅。部分的にその旧区画が大字の境界をなしている。関(せき)村と根木(ねぎ)村を挟むようにおおむね二地区に分れ、北地区の北は小茂田(こもだ)村・下児玉村、東は関村、南は根木村と那賀(なか)郡駒衣(こまぎぬ)村、西は十条(じゆうじよう)村・沼上(ぬまがみ)村で、南地区の北から東は関村、南は那賀郡古郡(ふるこおり)村。文永一一年(一二七四)一一月の大嘗会雑事配賦(金沢文庫文書)によると、大嘗会に際して「阿奈志村」に布三丈六尺・白米六升九合・油一合・木二束・菓子二合・秣一束などが雑事として割当てられている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報