小茂田村(読み)こもだむら

日本歴史地名大系 「小茂田村」の解説

小茂田村
こもだむら

[現在地名]美里町小茂田

薦田・小茂ノ田とも記す。身馴みなれ川と志戸しど川の間に位置する平坦地にある。北の栗崎くりざき(現本庄市)と東の榛沢はんざわ後榛沢うしろはんざわ(現岡部町)、南の阿那志あなし村にまたがる条里区画のなかにあり、区画線上に境界があった。西部に散在する集落と東部の水田の間を身馴川の旧流路が北東流していたが、水田地域のほうが標高が高い。児玉党薦田氏の本貫地と伝えられ、身馴川流路の変更(条里制施行頃)以前は九郷くごう用水水系にあったと考えられる。


小茂田村
こもだむら

[現在地名]厳原町小茂田

椎根しいね村の北東、西海に臨んで立地し、佐須さす川の下流に田地が開ける。中世は薦田とみえる。「郡方毎日記」寛永一五年(一六三八)条に「こもた」とみえ、承応―明暦年間(一六五二―五八)の皇圀道度図(大阪府立図書館蔵)に薦田と記される。寛文二年(一六六二)検地帳に佐須郡小茂田村とみえ、高二三石余。同六年東海での捕鯨を許された小田善左衛門組は南室なむろ浦を据浦としたが、同一二年冬組に限って「与良郡もと浦」(茂渡浦)を据浦とすることが許された(郡方毎日記)。当地の田地を斎藤さいとう原と俗称するのは延宝年間(一六七三―八一)より元禄(一六八八―一七〇四)初年にかけて対馬藩領の肥前田代たしろ(現佐賀県鳥栖市)より移住した百姓が中世以来の斎藤氏の塩田を開いたことに由来する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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