朝日日本歴史人物事典 「阿部正武」の解説
阿部正武
生年:慶安2.6.15(1649.7.24)
江戸前期の大名。正能と牧野信成の娘の子。延宝5(1677)年7月遺領を襲い,武蔵国忍藩(埼玉県)8万石の藩主となる。雁の間詰め。8年徳川綱吉が5代将軍になると,閏8月には奏者番,寺社奉行兼帯,天和1(1681)年3月から死去するまで24年間老中として,綱吉の治世を助けた。3年には武家諸法度の頒布に携わり,貞享3(1686)年には『武徳大成記』編纂の惣奉行,元禄11(1698)年金銀改鋳の惣奉行,宝永1(1704)年湯島聖堂再建の惣奉行を務めた。この間,貞享3年,元禄7年に各1万石加増され10万石を領した。また,忍藩の所領の整理,法制の整備,城郭の大修築を行い,藩体制の確立に努めた。学問好きで知られ,儒者三宅尚斎を招き藩内に文武を奨励,将軍綱吉の前で『論語』を講じた。<参考文献>川澄次是編「公余録」1,2(児玉幸多校訂『阿部家史料集』1巻)
(泉正人)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報