朝日日本歴史人物事典 「阿閉権之丞」の解説
阿閉権之丞
生年:文政10(1827)
幕末の近江国(滋賀県)膳所藩藩士。権右衛門の子。禄高150石。大目付役,大砲隊長,勝手方元締などを歴任。膳所は京都に近いことから尊王攘夷思想を持つ藩士が多く,阿閉もそのひとり。文久3(1863)年の8月18日の政変後,藩内には尊攘派と佐幕派の激しい対立が生じ,尊攘派による家老襲撃事件が発生,幕府密偵の探索するところとなった。元治1(1864)年,長州再征に向かう将軍徳川家茂の膳所泊城が同藩の動揺を嫌って突如大津仮泊に変更されると,佐幕派は尊攘派の責を問い志士たちを処断。森喜右衛門ほか6名が斬られ,阿閉もほかの3名と共に切腹。家族も追放となった。享年39。<参考文献>『滋賀県史』3巻
(岩下哲典)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報