障子倉村(読み)しようじぐらむら

日本歴史地名大系 「障子倉村」の解説

障子倉村
しようじぐらむら

[現在地名]平村祖山そやま

じよう村の北、庄川左岸山腹の窪地に位置する。対岸祖山村、北は新山あらやま(現利賀村)正保郷帳に村名がみえ、高一五石余、畑方のみで一町余。明暦二年(一六五六)には免三ツ九歩六厘、同年以後、納所金子二両二匁七分余・塩硝役金子八分余・手上金子五分余、蝋・漆・蓑・紙役金子七分余、計三両三分余を課せられており、この代銀一四三匁六分余を夏成・冬成の両度に納めた(天保一〇年「草高免付百姓数品々帳」利賀村公民館蔵)。家数は寛文期(一六六一―七三)は三(「五ヶ山廻帳」加越能文庫)、宝暦九年(一七五九)は二で、肝煎は祖山村の兼帯(「後見要集」鉢蝋家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android