朝日日本歴史人物事典 「雌鳥皇女」の解説
雌鳥皇女
5世紀前半,応神天皇と宮主宅媛(宮主矢河枝比売)との皇女。女鳥王ともいう。仁徳40年,仁徳天皇は異母妹の雌鳥皇女を妃にしようとして,ふたりにとって異母兄弟の関係にある隼総別皇子を仲人にたてた。しかし,皇后に気兼ねした皇女はひそかに皇子の妃となってしまった。その後隼総別皇子が皇位への野心をあらわにするや,天皇は逃げたふたりを殺させた。夫妻共に廬杵河の辺(三重県一志郡家城町)に埋葬された。追討者は禁じられていたにもかかわらず,殺した皇女の体から玉の腕飾りを奪い取り,こっそり他の女性に与えていた。のちに皇后に見つかり,処罰されたという。
(明石一紀)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報