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雌鳥皇女 めとりのおうじょ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

雌鳥皇女 めとりのおうじょ

記・紀にみえる応神天皇の皇女。
母は宮主宅媛(みやぬしやかひめ)。「日本書紀」によれば,仁徳(にんとく)天皇に妃にのぞまれたが,仲立ちをした隼別(はやぶさわけの)皇子とひそかに結婚。天皇に謀反(むほん)をうたがわれ,皇子とともに伊勢神宮へにげる途中,追っ手に殺されたという。「古事記」では女鳥王。

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朝日日本歴史人物事典の解説

雌鳥皇女

生年:生没年不詳
5世紀前半,応神天皇と宮主宅媛(宮主矢河枝比売)との皇女。女鳥王ともいう。仁徳40年,仁徳天皇は異母妹の雌鳥皇女を妃にしようとして,ふたりにとって異母兄弟の関係にある隼総別皇子を仲人にたてた。しかし,皇后に気兼ねした皇女はひそかに皇子の妃となってしまった。その後隼総別皇子が皇位への野心をあらわにするや,天皇は逃げたふたりを殺させた。夫妻共に廬杵河の辺(三重県一志郡家城町)に埋葬された。追討者は禁じられていたにもかかわらず,殺した皇女の体から玉の腕飾りを奪い取り,こっそり他の女性に与えていた。のちに皇后に見つかり,処罰されたという。

(明石一紀)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の雌鳥皇女の言及

【隼総別皇子・雌鳥皇女】より

…記紀にみえる仁徳天皇の庶弟妹。天皇は隼総別皇子を仲人として,雌鳥皇女に求婚したが,皇女はハヤブサワケと通じ,仁徳をたおすことをそそのかしたために二人は軍勢に追われて宇陀の曾尓(そに)(紀では伊勢の蔣代野(こもしろのの))で殺害された。仁徳天皇は名を大鷦鷯(おおさざき)ともいい,登場する人物の名がすべて鳥に関連すること,表現形式が短い歌謡群を中心につづられた物語として出色であること,《古事記》における皇女は《日本書紀》のそれとは異なり,姉である八田若郎女(やたのわきいらつめ)の待遇をめぐって仁徳天皇に抗議し,意欲的に生きる女性として描かれていること,の3点をこの話の特色としてあげることができる。…

※「雌鳥皇女」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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