雑司ヶ谷町(読み)ぞうしがやまち

日本歴史地名大系 「雑司ヶ谷町」の解説

雑司ヶ谷町
ぞうしがやまち

[現在地名]豊島区雑司が谷一―三丁目・南池袋(みなみいけぶくろ)四丁目、文京区目白台(めじろだい)二丁目など

雑司ヶ谷村のうちに形成された町屋で、延享三年(一七四六)町並地となった。市谷自証(いちがやじしよう)院領。「御府内備考」に「当町之儀は所々え相離罷在、百姓家并田畑等入会有之、両側之所も有之又は片側の処も有之間数等多分之不同」とみえるように、町場は畑地や百姓家などと入交じりながら、幾筋かある鬼子母(きしも)神への参詣路沿いに散在。その範囲はおおよそ東西三町半・南北二町余で、同備考は町場の字名として御嶽(みたけ)権現社近くの御嶽、鬼子母神出現地に近い清土(せいど)、鬼子母神社鳥居先の大門(だいもん)、当町の中ほどにあたる仲町(なかまち)、柳下若狭守の旧居にあたる柳下(やぎした)および畑(はた)町と町場六ヵ所をあげる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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