豊島区(読み)トシマク

デジタル大辞泉 「豊島区」の意味・読み・例文・類語

としま‐く【豊島区】

豊島

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日本歴史地名大系 「豊島区」の解説

豊島区
としまく

面積:一三・〇一平方キロ

都区部の北西部に位置し、東は文京区、南は新宿区、西は練馬区・中野区、北は北・板橋両区と接している。JR山手線・同埼京線、営団地下鉄丸ノ内線・同有楽町線・同南北線、都営地下鉄三田線・同大江戸線、東武東上線、西武池袋線、都電荒川線、国道一七号(白山通)・同二五四号(春日通)、環状六号(山手通)、環状五号(明治通)などが通る。区域はおおよそ北を谷端やばた(現在は暗渠)、南を神田川に挟まれた武蔵野台地東端を占める。

〔区域の遺跡〕

区内では現在一六遺跡が知られているが、内容的には近世が主体であり、中世以前の遺跡は少ない。しかし近世遺構の調査に付随してそれ以前の遺構・遺物の検出が相次いでおり、この一〇年間で区内の原始・古代・中世にかかる考古学的情報も着実に蓄積されつつある。旧石器時代の遺跡として巣鴨すがも遺跡・染井そめい遺跡・雑司が谷ぞうしがや遺跡・高松たかまつ遺跡がある。このうち巣鴨遺跡高松遺跡ではナイフ形石器が出土、雑司が谷遺跡・染井遺跡では礫群などが確認されている。縄文時代遺跡については古くから氷川神社裏ひかわじんじやうら(池袋西)貝塚・池袋東貝塚・染井墓地内貝塚などの存在が知られていたが、これらの貝塚の具体的な位置については現在のところ未確認であり、小規模な地点貝塚であるか、もしくはすでに隠滅している可能性もある。一方、近年の発掘調査のなかで当該期の遺物が出土しており、早期(雑司が谷遺跡)、前期(染井遺跡・長崎神社周辺遺跡・旧感応寺境内遺跡)、中期(染井遺跡・雑司が谷遺跡・高松遺跡・千早遺跡・長崎神社周辺遺跡・椎名町遺跡)、後期(染井遺跡・駒込一丁目遺跡・氷川神社裏貝塚遺跡・池袋東貝塚遺跡)、晩期(氷川神社裏貝塚遺跡・巣鴨遺跡)、時期不明(東池袋遺跡)の各期にわたっている。このうち染井遺跡では中期末の竪穴住居跡一軒が検出されているが、ほかは微量の遺物が出土しているだけである。弥生時代の遺跡はいずれも後期の所産であり、中期にさかのぼる事例はない。平成一三年(二〇〇一)三月までに駒込一丁目こまごめいつちようめ遺跡(竪穴住居跡一二軒)・染井遺跡(同三軒)・池袋東貝塚遺跡(同一軒)の調査が実施されている。一方、古墳時代以降の遺構・遺物については確実な調査事例は少なく、平安時代(一〇世紀頃)の竪穴住居跡一軒・鍛冶炉一基が駒込一丁目遺跡で検出されているにすぎない。

〔古代・中世〕

律令制下では豊島郡に所属。同郡日頭ひのと(和名抄)が区内に位置していた可能性があるが、確証はない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「豊島区」の意味・わかりやすい解説

豊島〔区〕
としま

東京都 23特別区の1つ。 1932年区制。 47年特別区制。地名の由来には諸説あるが,古代に豊島駅が所在したことにちなむなどといわれる。武蔵野台地の一部,豊島台上にあり,駒込,巣鴨,大塚,池袋,雑司が谷などの地区がある。大部分は畑作地であった。明治時代後半以降,山手線の開通をはじめ,市電や現在の東武鉄道,西武鉄道が開通,路線駅周辺に商店街を形成,都市化が進んだ。関東大震災以後住宅が進出して急激に発達。池袋は私鉄やバスなどのターミナルとして発展,第2次世界大戦後は地下鉄が開通してさらに繁栄し,東池袋の巣鴨プリズン (東京拘置所) 跡に超高層のサンシャイン 60ビルをはじめ,高層ビルが林立し,東京の代表的繁華街となり,副都心を形成。商業,住宅地区とともに大学も多く,文教地区の性格ももっている。雑司が谷に鬼子母神,巣鴨にとげぬき地蔵がある。 JR,私鉄,地下鉄各線のほか,都電荒川線,国道 17号線,254号線,首都高速5号池袋線が通り,東池袋,北池袋インターチェンジがある。面積 13.01km2。人口 30万1599(2020)。

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