日本歴史地名大系 「雨垂石村」の解説
雨垂石村
あまだれいしむら
[現在地名]松前郡松前町字静浦
近世から大正一二年(一九二三)まで存続した村。近世は西在城下付の一村で、
天明六年(一七八六)の「蝦夷拾遺」では雨垂石村の家一〇戸たらず、二〇余人、木村「蝦夷日記」の寛政一〇年(一七九八)五月一九日の記事には「八軒、庄や清三郎、奇形之石海ニも山ニも有」とみえる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
近世から大正一二年(一九二三)まで存続した村。近世は西在城下付の一村で、
天明六年(一七八六)の「蝦夷拾遺」では雨垂石村の家一〇戸たらず、二〇余人、木村「蝦夷日記」の寛政一〇年(一七九八)五月一九日の記事には「八軒、庄や清三郎、奇形之石海ニも山ニも有」とみえる。
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