日本歴史地名大系 「霞谷」の解説 霞谷かすみだに 京都市:伏見区深草村霞谷大岩(おおいわ)山の西南麓付近の汎称。「雍州府志」は「霞ノ谷 在深草凡宝塔寺之後山赭赤之地惣号霞谷、土人今謂霞岡」とし、「山州名跡志」は「宝塔寺ノ南ヨリ、真宗院及ヒ谷口ニ至テ総名ナリト」と記す。宝塔(ほうとう)寺(現深草宝塔寺山町)、真宗(しんじゆう)院(現深草真宗院山町)、谷口(たにぐち)(現深草谷口町か)の所在からして、仁明(にんみよう)天皇陵を中心にした一帯と思われる。霞谷(かすみのたに)は、「古今集」巻一六(哀傷)の次の歌より出た歌枕である。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
世界大百科事典(旧版)内の霞谷の言及 【鄭斉斗】より …朝鮮,李朝後期の学者,朝鮮陽明学派の祖。字は士仰,号は霞谷。慶尚道延日の人。… ※「霞谷」について言及している用語解説の一部を掲載しています。 出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」 Sponserd by