深草(読み)ふかくさ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

深草
ふかくさ

京都市伏見区北西部の一地区稲荷山 (233m) の西麓一帯をさし,竹田街道付近までを含む。京都から伏見へ向う奈良街道沿いに位置し,縄文土器出土平安時代には藤原氏の荘園があった。かつては多くの軍事施設がおかれていたが,第2次世界大戦後,軍用地は京都教育大学龍谷大学などの学校用地や住宅用地に転用された。史跡荷田春満 (かだのあずままろ) 旧宅がある。

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デジタル大辞泉の解説

ふかくさ【深草】

京都市伏見区北部の地名。深草十二帝陵・仁明天皇陵がある。平安時代の別荘地。[歌枕]
「年をへて住みこし里を出でていなばいとど―野とやなりなむ」〈伊勢・一二三〉

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世界大百科事典 第2版の解説

ふかくさ【深草】

京都市伏見区の北部一帯の地名。東山山系の西麓部にあたる。低地には弥生時代木器を出した深草遺跡があり,早くから開発の手が及んでいた。深草の名は《日本書紀》欽明即位前紀にみえ,秦大津父(はたのおおつち)説話からもうかがえるように秦氏が蟠踞(ばんきよ)していた。伏見稲荷大社氏の創立である。また深草屯倉(みやけ)があり,交通の要地でもあった。平安時代には京都の別荘地で(うずら)や月の名所として歌枕となった。

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大辞林 第三版の解説

ふかくさ【深草】

京都市伏見区北部の地名。古く貴族の別荘地、鶉うずらや月の名所として知られた。現在は文教・住宅地区。⦅歌枕⦆ 「年をへてすみこし里をいでていなばいとど-野とやなりなむ/古今 雑下

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

深草
ふかくさ

京都市伏見(ふしみ)区の北部、稲荷(いなり)山西麓(ろく)から鴨(かも)川左岸にかけての地区。旧深草町。稲荷山西方の扇状地上の深草遺跡は弥生(やよい)時代初期の農耕集落遺跡。稲荷山には、秦(はた)氏によって祀(まつ)られたのが始まりといわれる伏見稲荷大社がある。風光のよいところから平安時代には貴紳の別業が営まれ、また歌枕(うたまくら)としても知られ、『古今集』『伊勢(いせ)物語』などに地名がみえる。江戸時代には稲荷大社の門前町を除いて農村が多かったが、瓦(かわら)や伏見人形を産する窯業も盛んに行われた。1908年(明治41)第16師団が置かれ、第二次世界大戦後、軍事施設の跡地は京都教育大学、龍谷(りゅうこく)大学などの敷地に転用された。JR奈良線、京阪電鉄本線が通じる。[織田武雄]

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精選版 日本国語大辞典の解説

ふかくさ【深草】

京都市伏見区北部の地名。東山連峰の南端、稲荷山南西側のふもとにある。古くは秦氏一族の居住地であったが、のちに貴族の別荘地となる。豊臣秀吉の伏見城築城後、京都と伏見を結ぶ街道沿いに伏見稲荷大社の門前町として発達した。仁明天皇深草陵、深草北陵(深草十二帝陵)がある。鶉(うずら)、月の名所として知られた。
[語誌]皇室・権門の陵墓があったところから、「深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染めに咲け〈上野岑雄〉」〔古今‐哀傷〕などともうたわれたが、「年を経て住みこし里を出でて往なばいとど深草野とやなりなむ」〔古今‐雑下〕「野とならば鶉と鳴きて年は経むかりにだにやは君が来ざらむ」〔同〕や、この贈答歌本歌とした「夕されば野辺の秋風身にしみて鶉鳴くなりふか草の里〈藤原俊成〉」〔千載‐秋上〕によって、草深くさびしい、鶉の鳴く里というイメージで詠まれた。「新古今」以降では月光・雪・露・砧の音なども配されるが、さびしさのつきまとう里としてのイメージは踏襲された。

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