露沾(読み)ろせん

精選版 日本国語大辞典 「露沾」の意味・読み・例文・類語

ろせん【露沾】

  1. ないとうろせん(内藤露沾)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「露沾」の意味・わかりやすい解説

露沾
ろせん
(1655―1733)

江戸中期俳人内藤氏。奥州(福島県)岩城平(いわきたいら)7万石の大名内藤義泰(よしやす)(俳号風虎(ふうこ))の二男として江戸桜田邸に生まれる。宗因門。父風虎の編で1674年(延宝2)成立の俳諧撰集(はいかいせんしゅう)『桜川(さくらがわ)』に、弱冠18歳の露沾は45句の大量入集(にっしゅう)を果たし、早熟ぶりを示している。82年(天和2)28歳での退身とともに蕉門(しょうもん)に接近、83年刊其角(きかく)編『虚栗(みなしぐり)』をはじめとして、以後の蕉門諸俳書にしばしばその名をみることができる。芭蕉(ばしょう)も『笈(おい)の小文(こぶみ)』に「時は冬よし野をこめん旅のつと」の句を記し、「此(この)句は露沾公より下し給はらせ侍(はべ)りけるを」と書き付けている。門下沾徳(せんとく)、沾涼(せんりょう)らがいる。享保(きょうほう)18年岩城に没した。享年79歳。

[復本一郎]

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改訂新版 世界大百科事典 「露沾」の意味・わかりやすい解説

露沾 (ろせん)
生没年:1655-1733(明暦1-享保18)

江戸前~中期の俳人。姓は内藤,幼名は五郎四郎,名は義英,のち政栄。奥州磐城平7万石内藤義泰(俳号風虎)の次男で,下野守に任じられたが28歳で退身した。貞門時代,18歳で《桜川》に45句入集,のち蕉門に近づき,他の多くの俳人とも交わった。《笈(おい)の小文》に旅立つ芭蕉に,〈時は冬吉野をこめん旅のつと〉の句を送ったりした。著作に《倉の衆》《露沾公詠草》がある。〈むくつけき海鼠(なまこ)ぞ動く朝渚〉(《其帒》)。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「露沾」の解説

露沾 ろせん

内藤露沾(ないとう-ろせん)

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367日誕生日大事典 「露沾」の解説

露沾 (ろせん)

生年月日:1655年5月1日
江戸時代前期;中期の俳人
1733年没

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世界大百科事典(旧版)内の露沾の言及

【沾徳】より

…はじめ沾葉と号し,露言に師事。磐城平(いわきたいら)城主内藤風虎の息露沾から師弟に露・沾の各一字を授かったものという。俳壇への登場は1678年(延宝6)。…

※「露沾」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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