江戸中期の俳人。内藤氏。奥州(福島県)岩城平(いわきたいら)7万石の大名内藤義泰(よしやす)(俳号風虎(ふうこ))の二男として江戸桜田邸に生まれる。宗因門。父風虎の編で1674年(延宝2)成立の俳諧撰集(はいかいせんしゅう)『桜川(さくらがわ)』に、弱冠18歳の露沾は45句の大量入集(にっしゅう)を果たし、早熟ぶりを示している。82年(天和2)28歳での退身とともに蕉門(しょうもん)に接近、83年刊其角(きかく)編『虚栗(みなしぐり)』をはじめとして、以後の蕉門諸俳書にしばしばその名をみることができる。芭蕉(ばしょう)も『笈(おい)の小文(こぶみ)』に「時は冬よし野をこめん旅のつと」の句を記し、「此(この)句は露沾公より下し給はらせ侍(はべ)りけるを」と書き付けている。門下に沾徳(せんとく)、沾涼(せんりょう)らがいる。享保(きょうほう)18年岩城に没した。享年79歳。
[復本一郎]
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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