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沾徳 せんとく

世界大百科事典 第2版の解説

せんとく【沾徳】

1662‐1726(寛文2‐享保11)
江戸中期の俳人。姓は門田,のち水間。名は治郎左衛門。江戸の人。はじめ沾葉と号し,言に師事。磐城平(いわきたいら)城主内藤風虎の息露沾から師弟に露・沾の各一字を授かったものという。俳壇への登場は1678年(延宝6)。露沾の寵を得て内藤家に仕え,素堂に兄事して儒学を林家に,歌学山本春正清水宗川に学ぶ。風虎没後に同家を去り,1687年に姓号を改めて俳諧宗匠となり,また合歓堂と号す。素堂の仲介で蕉門其角と親交を結び,其角没後はその洒落風を継承して,過渡期の江戸俳壇を統率する位置に立ち,点者として一世を風靡した。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

沾徳
せんとく

水間沾徳」のページをご覧ください。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

沾徳
せんとく
(1662―1726)

江戸中期の俳人。水間(みずま)氏。合歓堂(ごうかんどう)と号す。江戸で生まれ、同地に没。享年65歳。1678年(延宝6)18歳のおりの沾葉(せんよう)号での言水(ごんすい)編『江戸新道』入集が初見。内藤風虎(ふうこ)・露沾(ろせん)父子の寵愛(ちょうあい)を受けるが、1685年(貞享2)風虎没後、其角(きかく)に親炙(しんしゃ)し、洒落(しゃれ)風の俳諧(はいかい)を習得、享保(きょうほう)期(1716~36)江戸俳壇の中心的人物となる。沾徳が、芭蕉(ばしょう)から時鳥(ほととぎす)二句の評を請われ「物定(さだめ)のはかせ」となったエピソード(荊口宛(けいこうあて)芭蕉書簡)は有名である。1692年(元禄5)刊の『誹林一字幽蘭集(はいりんいちじゆうらんしゅう)』が処女撰集(せんしゅう)。ほかに『文蓬莱(ふみよもぎ)』『余花千句(よかせんく)』『橋南(はしみなみ)』『後余花千句(のちよかせんく)』などの編著がある。1718年(享保3)成立の『沾徳随筆』は、彼の俳諧観をうかがうのに欠かせない資料である。門人に沾洲(せんしゅう)がいる。
 うぐひすや朝日綱張(つなはる)壁の穴(橋南)[復本一郎]

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世界大百科事典内の沾徳の言及

【江戸座】より

其角(きかく)の伊達(だて)好みの俳風を受け継ぎ,快活で洒脱な都会的享楽ムードにあふれた江戸趣味の俳風で知られる江戸の俳人群。18世紀の初期,其角の門人沾徳(せんとく)の〈洒落風〉に,それから分派した沾洲の〈比喩体(ひゆてい)〉をも交えて大いに行われたが,奇警な趣向,卑俗な見立てに走りすぎたため,《五色墨(ごしきずみ)》(1731)などの批判をこうむり,しだいに衰えて明治時代にまで及んだ。【乾 裕幸】。…

※「沾徳」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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