日本歴史地名大系 「青山北町六丁目」の解説 青山北町六丁目あおやまきたまちろくちようめ 東京都:港区旧赤坂区地区青山北町六丁目[現在地名]港区北青山(きたあおやま)三丁目明治五年(一八七二)成立の町。江戸時代の矢倉沢(やぐらさわ)往還の北側にある。東は青山北町五丁目、南は同往還を隔てて青山南町六丁目。江戸時代の当町域は青山家の屋敷以後百人組大縄地、そして紀州徳川綱教の弟内蔵頭・主税頭の屋敷になり、さらに収公された場所の一部へ宝永二年(一七〇五)谷中(やなか)から善光(ぜんこう)寺が来転し、翌年には同寺門前も旧地から移った。残りの部分は同年陸奥一関藩田村家邸と越前鯖江藩間部家邸となり、前者は正徳三年(一七一三)信濃上田藩松平(藤井)家邸に、さらに大和柳本藩織田家邸、大久保豊後守その他の邸地に変遷した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by