日本歴史地名大系 「青巌寺」の解説 青巌寺せいがんじ 三重県:一志郡一志町小山村青巌寺[現在地名]一志町小山小山(おやま)の西端山麓字上(うえ)ノ屋敷(やしき)にあり、金龍山と号し、真宗高田派。本尊阿弥陀如来立像。寺伝によれば古くは紫雲山慈恩(じおん)寺と称した密教寺院で伊勢国司北畠家の祈願寺であった。本多伊予守親氏の弟、本多彦兵衛尉は寛正(一四六〇―六六)の頃北勢一帯を巡化した真慧の教化にあい、帰依したと伝えられ、文亀元年(一五〇一)九月二一日、片野(かたの)村と平生(ひろお)村(現嬉野町)の境界に近い地点で一向宗弾圧によって斬首されたが、後に本山より了珍上人の号と青巌寺開基と称する栄を賜った。慈恩寺は天正四年(一五七六)北畠家の滅亡により、寺も戦火により荒廃したが、寺号を改め真宗の流れをくむ誓願(せいがん)寺として再興された。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by