青海村・大日比浦(読み)おうみむら・おおひびうら

日本歴史地名大系 「青海村・大日比浦」の解説

青海村・大日比浦
おうみむら・おおひびうら

[現在地名]長門市仙崎せんざきの一部

青海島の西半分にあたり、東半分はかよい浦、南対岸は瀬戸崎せとざき浦。前大津宰判に所属する。

古くは瀬戸崎浦に含まれたらしく、近世前期の検地帳では瀬戸崎浦に合石されて記されるが、享保年中(一七一六―三六)の「地下上申」では「青海島」が独立して記載され、「注進案」でも「青海村・大日比浦」として別に扱われる。しかし同書に「此嶋以前は一荘屋の所にて御座候処、只今は瀬戸崎浦存内一括りに相成居申候へども、此度は山川形勢風俗等難書分候に付、瀬戸崎浦隷村として別冊に書出申候」と記している。江戸中期に一度行政的に分村され、元文五年(一七四〇)に再び瀬戸崎に合併された(同書)ようである。

「地下上申」には総石高四八八石余とあり、すべてが蔵入地、うち大日比浦分は八二石余で、同浦の浦屋敷は八五、青海村は百姓屋敷八二とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む