日本歴史地名大系 「青色寺」の解説 青色寺せいしよくじ 徳島県:三好郡池田町佐野村青色寺[現在地名]池田町佐野佐野(さの)のほぼ中央、初作(しようじやく)に位置。宝珠山と号し、真言宗御室派。本尊は延命地蔵。慶長三年(一五九八)徳島藩から藩領境の要地の駅路寺に指定された(阿淡年表秘録)。文化八年(一八一一)の佐野村棟付帳(池田町公民館蔵)によれば、当寺は往還旅人に宿を供するため建立されたといい、駅路山往還寺と称された。延宝二年(一六七四)の棟付帳にも御扶持寺往還寺と記載されている。その後京都仁和寺の直末となり、青色寺と号した。また慶長期より毎年現米六石ずつを佐野・馬路(うまじ)両村の年貢米のうちに与えられ、藩主巡国のおりは休憩所・宿泊所として奉仕、延享四年(一七四七)にはお目見えを許されたとされる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by