青龍寺跡(読み)しようりゆうじあと

日本歴史地名大系 「青龍寺跡」の解説

青龍寺跡
しようりゆうじあと

[現在地名]一の宮町宮地

阿蘇神社境内の北側(現在は民有地)にあった阿蘇神社の神宮寺。金剛山と号し、天台宗、本尊十一面観音。永長元年(一〇九六)宮司惟行が蘇印という僧に開基させ、三石四斗の寺領を有したという(国志草稿)。阿蘇宮社家供僧由来略(「国誌」所収)に十一面観音を安置した本堂を「経坊本堂」と称したとあり、建徳三年(一三七二)一一月一三日の阿蘇社領宮地居取田検見馬上帳(阿蘇家文書)に「四坪 四段 経坊免」がみえる。阿蘇宮社家供僧由来略によると、阿蘇社の供僧を勤めた青龍寺供僧には、一和尚・宮司・徳満・勧力・定楽・福楽の「殿上供僧」と同丸・勢徳・財徳・満力・吉丸・長寿・神用・千徳・万財の「九坊」の一五の供僧坊があったという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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