須宮村(読み)すのみやむら

日本歴史地名大系 「須宮村」の解説

須宮村
すのみやむら

[現在地名]瑞浪稲津町小里いなつちようおり 須之宮すのみや

北へ蛇行しながら流れる小里川西岸にある。北は羽広はびろ村。須之宮とも記す。慶長郷帳に「すの宮村」とみえ、旗本小里光親領。元和九年(一六二三)幕府領となる。正保郷帳では田一三一石余・畑三四石余・山高二石余、草山がある。文化七年(一八一〇)の村明細帳によると田一〇町二反余・畑四町四反余、家数五四、男一〇七・女一〇二・僧一。中山道大湫おおくて宿への助郷勤高二二四石(元禄七年「大湫町助郷帳」森川文書)。元和九年北東萩原はぎわら村との間で萩原山の木草採草権をめぐる山論があり(「木草山論一件」和田文書)、天保二年(一八三一)には稲津三ヵ村の小里山・屏風びようぶ山中腹への入会相論があった(「入会山論一件」中山文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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