20世紀日本人名事典 「須川信行」の解説 須川 信行スガワ ノブユキ 明治・大正期の歌人 生年天保10年10月25日(1839年) 没年大正6(1917)年11月13日 出生地近江国高島郡安曇村(滋賀県) 旧姓(旧名)清水 経歴近江安曇村の医師・清水貞吾の二男に生まれ、京都の須川検校に養われ、医師となる。国学・和歌を渡忠秋・小出粲に学び、やがて御歌所の高崎正風に認められる。明治25年京都華族向陽会の教師を務め、39年御歌所参候、43年寄人となった。大正5年御歌所内に明治天皇御製臨時編纂部を置くに当たり委員に推された。常葉園と号し、詠歌は明朗・清快で「さみだれ集」「遊幾廼波那」「千代の春」などに収載される。家集に「常葉園歌集」がある。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「須川信行」の解説 須川信行 すがわ-のぶゆき 1839-1917 明治-大正時代の歌人。天保(てんぽう)10年10月25日生まれ。京都の須川検校(けんぎょう)にやしなわれ,医師となる。和歌を渡忠秋,小出粲(こいで-つばら)にまなぶ。御歌所(おうたどころ)の高崎正風(まさかぜ)にみとめられ,御歌所寄人(よりゅうど)となった。大正6年11月13日死去。79歳。近江(おうみ)(滋賀県)出身。本姓は清水。号は常葉園。家集に「常葉園歌集」。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by