デジタル大辞泉
「高崎正風」の意味・読み・例文・類語
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高崎正風 (たかさきまさかぜ)
生没年:1836-1912(天保7-大正1)
明治期の歌人。鹿児島生れ。26歳のころから,幕末多事に際して国事に力を尽くした。1868年鳥羽・伏見の戦において征討将軍の参謀となり,71年に欧米を視察,76年宮中の御歌掛となる。88年には御歌所設置にともなって初代所長となり,以後題者,点者として明治末年におよんだ。歌は八田知紀(はつたとものり)に学ぶ。77年に明治天皇の作歌の点者を命ぜられ,天皇の作歌10万首,昭憲皇太后の作歌4万首を点した。自らも多作で数万首の歌を作り,没後御歌所関係者の手で1265首選ばれ《たづがね集》3巻(1926)が刊行された。歌風は桂園調の旧風を脱することができなかった。〈泣く人をいぶかしげにもうちまもり随ひ行くか父のひつぎに〉(《たづがね集》下)。
執筆者:藤岡 武雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
高崎 正風
タカサキ マサカゼ
江戸時代末期・明治期の歌人,官僚,男爵 御歌所初代所長;枢密顧問官。
- 生年
- 天保7年7月28日(1836年)
- 没年
- 明治45(1912)年2月28日
- 出生地
- 薩摩国鹿児島郡川上村(鹿児島県鹿児島市)
- 別名
- 号=蕣の舎,宝義堂主人
- 経歴
- 父は藩主の相続をめぐるお家騒動に連座して切腹。正風は15歳になると奄美大島に流されたが、まもなく許され、以後幕末の国事に奔走した。明治元年征討軍参謀、4年左院少議官となり、5年欧米視察、8年侍従番長。その後、22年宮中顧問官、28年枢密顧問官を歴任。和歌は八田知紀に師事し、桂園派の歌人として活躍。また9年宮中の御歌掛を拝命、11年御歌掛長、21年御歌所設置にともない初代所長となり、45年まで務めた。20年男爵。没後の大正15年歌集「たづがね集」3巻本が刊行された。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
高崎正風
没年:明治45.2.28(1912)
生年:天保7.7.28(1836.9.8)
幕末の薩摩(鹿児島)藩士,明治政府の官僚,歌人。島津斉彬襲封の早期実現を図り,俗にいうお由羅騒動で切腹を命じられた高崎五郎右衛門の子。事件に連座し,嘉永3(1850)年奄美大島に流罪。同6年許され帰藩。文久2(1862)年島津久光に随従して上洛。翌3年8月,会津藩(福島県)藩士秋月悌二郎と中川宮朝彦親王を訪い尊攘派排撃を要請,8月18日の政変を実現に導き,京都留守居役となる。慶応3(1867)年武力討幕方針に反対し,藩政府の主流から隔たった。ために維新後の官歴は必ずしも華やかでなく,左院少議官,侍補,宮中顧問官,枢密顧問官。また八田知紀に学び桂園派の歌人。明治21(1888)年御歌所長を兼ね,終世その職にあった。
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
高崎 正風
タカサキ マサカゼ
- 肩書
- 枢密院顧問官,御歌所初代所長
- 生年月日
- 天保7年7月28日(1836年)
- 出身地
- 薩摩国鹿児島(鹿児島県)
- 経歴
- 明治元年征討将軍の参謀、4年欧米視察、9年宮中の御歌掛拝命、21年御歌所設置にともない初代所長となる。明治天皇の信任厚く、28年枢密院顧問官に任ぜられる。没後の大正15年「たづがね集」3巻本が刊行された。
- 没年月日
- 明治45年2月28日
出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報
高崎正風 たかさき-まさかぜ
1836-1912 幕末-明治時代の武士,歌人。
天保(てんぽう)7年7月28日生まれ。高崎五郎右衛門の長男。薩摩(さつま)鹿児島藩士。八田知紀(とものり)に歌をまなぶ。お由羅騒動で父は切腹し,正風は奄美大島に流されたが,ゆるされ京都で活動。宮中の侍従番長,御歌掛などをつとめ,明治21年御歌所初代所長。のち枢密顧問官をかねた。明治45年2月28日死去。77歳。通称は左太郎,伊勢,左京。号は宝義堂。
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高崎正風【たかさきまさかぜ】
歌人。通称佐太郎。薩摩生れ。父は薩摩藩士,冤罪(えんざい)によって自刃したため,奄美大島に流された。3年後許された後は,国事に奔走した。1872年欧米視察,帰国後,1876年宮中の御歌掛(おうたがかり)になり,1887年には明治天皇の作歌の点者を命ぜられる。1888年御歌所(おうたどころ)設置の際,初代所長となり没するまで務めた。歌風は八田知紀に学んで桂園派,明治歌界の中心的人物となった。没後,千葉胤明らによって《たづがね集》が編まれた。
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高崎正風
たかさきまさかぜ
[生]天保7(1836).7.28. 薩摩
[没]1912.2.28. 東京
歌人。通称,左太郎。歌を八田知紀に学び,1876年宮中の御歌掛に任じられ,88年御歌所設置に伴い初代所長となった。明治天皇,昭憲皇太后の御製の点者としても有名。桂園派の正統を継ぎ,古今調の温雅流麗な歌風で,自然への没入と「まこと」を説いた。没後,歌集『たづがね集』 (3巻,1926) が刊行された。
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高崎 正風 (たかさき まさかぜ)
生年月日:1836年7月28日
江戸時代;明治時代の歌人。御歌所所長
1912年没
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