須智城跡(読み)しゆうちじようあと

日本歴史地名大系 「須智城跡」の解説

須智城跡
しゆうちじようあと

[現在地名]丹波町字市森

玉雲ぎよくうん寺の東方、こと滝の北方約三〇〇メートルにあり、標高三九〇メートルの山上に位置し、京街道(山陰道)を口丹波と奥丹波に遮断する要衝にあたる。

観応三年(一三五二)八月日付中津川秀家軍忠状(遠山文書)に「同月(慶応三年五月)十五日又属御手押寄須智之城之刻」とみえる。これによれば当時南朝方に属していたことが知られる。延徳元年(一四八九)九月、船井郡を中心に大規模な国人一揆が蜂起した際、須智氏は一揆の中核的存在となり、守護細川政元が派遣した討伐軍に対抗して須智城に籠城した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

南海トラフ臨時情報

東海沖から九州沖の海底に延びる溝状の地形(トラフ)沿いで、巨大地震発生の可能性が相対的に高まった場合に気象庁が発表する。2019年に運用が始まった。想定震源域でマグニチュード(M)6・8以上の地震が...

南海トラフ臨時情報の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android