荻野直正(読み)おぎの なおまさ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「荻野直正」の解説

荻野直正 おぎの-なおまさ

1529-1578 戦国-織豊時代の武将
享禄(きょうろく)2年生まれ。赤井家清の弟。外舅の荻野秋清を殺し,天文(てんぶん)23年丹波黒井城(兵庫県)城主となり,悪右衛門と称されたという。織田信長の丹波制圧に抵抗し,天正(てんしょう)3年以後明智光秀に攻められたがよく防戦した。天正6年3月9日死去。50歳。本姓赤井幼名は才丸。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の荻野直正の言及

【丹波国】より

… しかし長頼の軍事力も永続性がなく,64年(永禄7)の長慶の死によって起こった三好政権の内訌の影響を受けざるをえなかった。65年8月氷上郡の荻野直正は黒井城下に長頼を敗死させ,ここに三好政権の丹波支配も崩壊した。以後奥郡荻野氏,多紀郡波多野氏,口郡内藤氏の三者鼎立状態が続くが,75年10月に至って織田信長は丹波征討を決意し,京都代官明智光秀を山陰道の司令官に据えた。…

※「荻野直正」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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