朝日日本歴史人物事典 「荻野直正」の解説
荻野直正
生年:生年不詳
戦国時代の武将。丹波国黒井(保月)城(兵庫県氷上郡)城主。丹波国人赤井時家の子。悪右衛門,才丸。天文23(1554)年1月,荻野秋清を殺害して黒井城主となる。丹波国に勢威を拡大し,のち波多野秀治らと連合する。永禄8(1565)年8月,丹波守護代内藤備前守と戦いこれを斬る。同年10月,波多野晴通と共に京都長坂口で松永久秀らと合戦,元亀2(1571)年11月には,丹波国内に攻めてきた山名韶煕(祐豊)と戦っている。織田信長の命により惟任(明智)光秀の大軍が押し寄せると,秀治らと抵抗を続け,天正3(1575)年9月光秀軍を黒井城におびき寄せる作戦を実行,これを挟撃,撃退した。しかし光秀軍の攻撃はこののちも続き,黒井城は同7年8月19日ついに落城。直正はそれに先立つ6年3月,面疔のため城中で死去したという。
(森田恭二)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報