須永金三郎(読み)スナガ キンザブロウ

20世紀日本人名事典 「須永金三郎」の解説

須永 金三郎
スナガ キンザブロウ

明治・大正期のジャーナリスト,郷土史



生年
慶応2年10月(1866年)

没年
大正12(1923)年2月25日

出生地
下野国足利新田町(栃木県)

学歴〔年〕
東京専門学校卒

経歴
東京専門学校在学中に博文館主・大橋佐平に認められ「大日本織物史」「倫理学」「財政学」「英国史」などを著し、卒業後は同社編集次長を務める。明治27年退社し、右文社を設立し雑誌「少年子」を刊行したが、28年帰郷し、栃木県足利の占春館で「両毛新報」を発行する。足尾鉱毒事件関連の記事を執筆する一方、鉱毒議会、足尾鉱毒救済会の設立に尽力し被害者の救済に当たった。31年代議士・三田村甚三郎に招かれ「福井新聞」の経営に当たり、政治評論の傍ら「柴田史料」「朝倉叢書」を刊行する。43年再び足利に戻り郷土史・南画研究に務めた。著書に「鉱毒論考」「足利学校遺蹟考」「早雲先生小伝」「足利地名考」「殉国志士青木春方碧血録」など多数。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「須永金三郎」の解説

須永金三郎 すなが-きんざぶろう

1866-1923 明治-大正時代のジャーナリスト。
慶応2年10月生まれ。博文館編集次長などをへて,明治28年郷里栃木県足利(あしかが)で「両毛新報」を発行,足尾鉱毒被害者の救済に尽力。のち「福井新聞」記者をへて,43年帰郷し,郷土史の研究につとめた。大正12年2月25日死去。58歳。東京専門学校(現早大)卒。号は須菩提,蘆山など。著作に「鉱毒論考」「足利学校遺蹟考」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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