改訂新版 世界大百科事典 「大橋佐平」の意味・わかりやすい解説
大橋佐平 (おおはしさへい)
生没年:1835-1901(天保6-明治34)
博文館の創業者。越後国長岡生れ。酒商,運輸業などを経営したのち,1881年《越佐毎日新聞》を創刊。86年に新聞の経営を長男新太郎に託して上京。87年に博文館を創業し,各種の雑誌からこれと思われる論説を無断転載した《日本大家論集》を創刊した。無断集録に対する非難の声が続出したが,編集内容が評判になり第2編から月刊で発行。続けて創業2年余の間に13種の月刊誌を次々と創刊した。他方,《日本之輿論》を刊行して書籍出版にも進出,90年に書籍雑誌販売業東京堂を創業した。93年欧米視察に出発,ロイター通信社を訪問,通信の取次を約束して帰国,94年に内外通信社を設立した。95年に13種あった雑誌を廃刊,新たに《太陽》《少年世界》《文芸俱楽部》を創刊,糾合合併して発展にそなえた。97年に洋紙店博進堂,博進社印刷所(後の博文館印刷所),次いで1901年に創業15周年を記念して〈大橋図書館〉を設立したが,開館を目前にして死去した。博文館は薄利多売を旨とし,従来見られなかった商業出版の道を切り開き,出版史上一時期を画した。
執筆者:矢作 勝美
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報