須留田村(読み)するだむら

日本歴史地名大系 「須留田村」の解説

須留田村
するだむら

[現在地名]赤岡町 須留田・高見たかみあさひ町・一本松いつぽんまつ別所山べつしよやま

赤岡村の北に位置し、東は岸本きしもと(現香我美町)、北は土居どい(現野市町)、西に古川ふるかわ(現吉川村)。東から南にかけての村境を香宗こうそう川が半周する方一キロほどの小村。須留田山(二九メートル)などの小山が点在する間を水田が埋める純農業地帯。

建仁三年(一二〇三)八月四日付で北条時政が土佐守護三浦義村に与えた書状(香宗我部家伝証文)に「須留田別符菟田保者、為香宗我部郷最中之由、在庁勘状加一見候了、然者且守故殿御下文、且任在庁勘状、可明道知行」とあるのが地名の初見。建久四年(一一九三)香宗我部こうそがべ(現野市町など)地頭として下向した中原氏は、現地の抵抗にあい将軍下文記載の地域を掌握できず苦労するが、その訴えを受けた時政が土佐国守護に対し、中原秋通(明道)への支援を命じた文書である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android