日本歴史地名大系 「赤岡村」の解説
赤岡村
あかおかむら
北と西を
浜堤は北と南の二条に分れ、北の方は標高約八メートル、南の方は約七メートル、堤は有史以前の生成だが、村落形成の時期は不詳。村名は長宗我部地検帳のうち天正一六年(一五八八)作成の香宗分地検帳の第二帳に「赤岡ノ村」および中浜・
慶長五年(一六〇〇)兄一豊に先んじて入国した山内康豊は「かうそかめ谷あかおか村浜五郎兵衛」宛に、「急度申入候、仍其元在所中百姓等、若山中へ立退候共早々可有還住候、当国置目等之儀、如前々聊相違有間敷候」との通達を出した(蠧簡集)。五郎兵衛は阿波国
赤岡村
あこうかむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報