日本歴史地名大系 「須縄村」の解説 須縄村すのむら 福井県:小浜市須縄村[現在地名]小浜市須縄北東は尾須(おす)の鼻(はな)を境にして尾崎(おざき)村、北西は南(みなみ)川を挟んで谷田部(やたべ)村。集落は多田(ただ)ヶ岳の南側枝峰真谷(まだに)より北西に流れて南川に合流する須縄川両岸に点在し、奥須縄・口須縄に大別される山村。中世は今富(いまとみ)名・富田(とみた)郷に属し、弘治二年(一五五六)六月の明通寺鐘鋳勧進算用状(林屋辰三郎氏蔵)に「百廿文 すなハ村」とみえる。江戸初期には小浜藩主京極忠高の代官小浜町年寄組屋六郎左衛門(宗円)の支配下におかれ、慶長一六年(一六一一)八月一二日付京極忠高黒印状(組屋家文書)の代官所目録に「一高(九ツ)百六拾九石壱斗六升 須縄」とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by