20世紀日本人名事典 「須藤憲三」の解説
須藤 憲三
ストウ ケンゾウ
明治〜昭和期の医化学者 金沢医科大学学長。
- 生年
- 明治5年1月10日(1872年)
- 没年
- 昭和9(1934)年1月7日
- 出生地
- 山形県東置賜郡赤湯町
- 学歴〔年〕
- 帝国大学医科大学
- 学位〔年〕
- 医学博士〔明治44年〕
- 経歴
- 医学を志し、上京して長谷川泰の済生学舎に入る。明治25年19歳で内務省の医術開業試験に合格し、同年独逸協会学校に入ってドイツ語を修め、ついで帝国大学医科大学に入り選科生として隈川宗雄教授に師事、同年助手となる。38年助教授となり、45年ドイツ留学を命じられベルリン大学およびカイゼル・ウィルヘルム研究所で研究に従事。この間、大正元年金沢医学専門学校教授に任ぜられ、3年帰国して医化学を講義した。9年官命により再度欧州に出張し、ついで金沢医科大学教授となり、13年学長に就任。昭和4年学術視察のため欧米各国に出張を命じられた。7年病気により辞職。尿糖測定法などを考案した。著書に「小医化学実習」「医化学実験法」「医化学的微量測定法」「写真小話」などがある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報