日本歴史地名大系 「須釜村」の解説 須釜村すがまむら 栃木県:真岡市須釜村[現在地名]真岡市須釜小貝(こかい)川左岸、東は青谷(あおや)村。村名は小貝川が大きく西方に湾曲する沿岸一帯に広い洲があり、ガマ、マコモの類が繁茂していたことから、古く洲蒲の文字を用い、やがて須釜となったという。現在でも地下二―三メートルに蒲菰の根が砂礫と混在する土層が広く分布する。元和三年(一六一七)常陸笠間藩領、同八年幕府領、寛永三年(一六二六)幕府領と旗本池田の相給、同一〇年幕府領と旗本池田・小長谷の三給、寛文元年(一六六一)から旗本江原・池田・小長谷の三給となり、幕末まで続く。 須釜村すがまむら 茨城県:新治郡八郷町須釜村[現在地名]八郷町須釜川又(かわまた)川右岸にあり、西は小幡(おばた)村。弘安大田文に北郡として「菅間七丁三段大」とある。江戸初期に下総関宿藩領(寛文朱印留)、貞享四年(一六八七)から土浦藩領となり(土浦市史)、のち旗本領となる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報